「たった一通のLINEなのに、なんだか疲れる…」
そう思うたびに、私は悩んできました。
自分の心が狭いのかな?
冷たい人間なのかな?
でも、そのLINEの送り主が母で、しかも毒親なら…話は別です。
私の母は、いわゆる毒親。
子どもの頃からずっと、「母の機嫌を損ねないように」振る舞ってきました。
いまは大人になって家を出て、母とは離れて暮らしています。
でも、LINEひとつで、あの頃の「緊張感」が一気によみがえってしまうのです。
今回は、そんな「LINEすらしんどい毒親との関係」について、私の体験と気づきを記録しておこうと思います。
母からの何気ないLINEが、なぜこんなにしんどいのか?
一見、他愛もない内容なんです。
「ゴールデンウィークは何してるの?」
「天気いいね」
そんな、ごく普通のやり取りなのに、必ずどこかに“父との不仲アピール”や、“疲れてる感”をにじませてきます。
それを「そうなんだね」「大変だね」と流すのもひと苦労。
私にとってはただの雑談ではありません。
「どう返せば母が満足するか」を探るゲームのようになってしまうんです。
しかも、正解が毎回違っていて、言葉を間違えれば、ふっと機嫌を損ねてしまいます。
そんな地雷原を踏まないようにしながらLINEを返すのは、ちっとも気楽なことじゃありません。
雑談に潜む、試されている感
母はマナーに厳しい人でした。
ものの言い方1つで、いきなり機嫌を悪くしたり、その言い方はなんだと説教が始まります。
母の望む答えを言わないと、面倒なことになり嫌な思いをする――そんな経験を何度も味わってきました。
そのせいで今では、雑談にさえ裏があるのではと勘ぐってしまいます。
軽い愚痴に透けて見える“共感強要”
LINEには必ず、何かしらの愚痴が含まれています。
「父が休みだから家にいてうざい」とか「父親が話しかけてくると吐き気がする」など。
母は雑談のつもりかもしれません。
けれど、ねぎらいの言葉や、共感を求めてきているように感じてしまいます。
普通の親子のやり取りとは、どこが違うのか?
きっと、普通の親子なら、何気ないLINEももう少し気楽にできるんだと思います。
「今日寒いね」
「旅行行ったよ」
「これ美味しかったよ〜」
そんなやりとりを楽しむ、ただそれだけの時間。
でも、毒親育ちの私は、そんなやり取りにすら構えてしまいます。
どこかで、「この一言が、母の機嫌を損ねるかもしれない」と考えてしまうのです。
母の機嫌に振り回されてきた子ども時代
子どもの頃、母の気分は天気のようにコロコロ変わりました。
笑っていたかと思えば、急に無視されたり、怒鳴られたりすることもありました。
「何が悪かったのか」と考えるのが癖になり、私はすっかり“機嫌の観察者”として育ちました。
そしてその習慣は、大人になっても消えていません。
LINEでも休めない空気読み
「この返信は素っ気なさすぎるかな?」
「スタンプだけだと怒るかな?」
「既読無視したら、面倒なことになるかな?」
たった数行のやりとりなのに、こんなふうに気を遣う自分がいます。
気づいたら、LINEが“連絡手段”ではなく、“地雷探知機”になっていたのです。
「返信しなきゃ」と思うだけで重くなる心
返信をしようとLINEを開くたび、感じる疲労感。
たった一言返すだけなのに、ため息が出て、スマホを閉じたくなる私。
そして、そんな自分にまた自己嫌悪してしまう。
「親なんだから、もっと気軽にやり取りできてもいいはず」
「私は冷たいのかな」
「心が狭いのかな」
そんな思いが頭をよぎるたびに、自分が少しずつすり減っていくのを感じます。
既読スルーが許されない“見えない圧”
母は、既読になってから返信が遅いと「忙しいのかな?」とスタンプを送ってきたり、
こちらが素っ気なく返すと「なんか怒ってる?」と探ってきたりします。
そんなとき、私は「怒ってないよ〜」と、明るく取り繕ってしまう。
本当は、怒ってるわけじゃない。ただ、疲れてるだけなのに。
返信のたびに下がる自己肯定感
返したあとも、「これでよかったかな」「変な風に伝わってないかな」と頭の中でぐるぐる反芻。
言葉選びに神経を使いすぎて、たった一通のLINEのあとにぐったりしてしまうことすらあります。
そして、ふと気づくんです。
「これ、普通の親子関係じゃないよね」って。
毒親育ちが親とLINEで繋がり続ける意味は?
本当は、もう離れてもいいはずなんです。
物理的にも経済的にも自立しているのに、
どこかで「連絡を断つのは悪いこと」「心配させるのはダメ」という思いが抜けません。
子どもの頃、母に「親なんだからこれくらいして当然」「あなたのためを思って」と言われ続けたことが、
今も“縛り”として心に残っているのかもしれません。
心の距離がまだ取れていない証拠
ブロックも未読無視もできない。
かといって、心からやり取りを楽しめるわけでもない。
その曖昧で中途半端な関係性が、知らず知らずのうちに自分の心を疲れさせています。
「無視したら可哀想」
「関係を壊したら、親不孝かもしれない」
そんな気持ちがある限り、親子関係の“卒業”は難しいままです。
「ブロックも未読無視も、罪じゃない」って誰かに言ってほしかった
LINEを返さないだけで罪悪感を感じてしまう私は、
きっと今も、母の言葉や機嫌に支配されているんだと思います。
本当は、「無理してまで親に合わせなくていいよ」
「あなたの心の平穏のほうが大切だよ」って、
誰かに言ってほしかった。
だから今、この記事を通して、昔の自分にそれを伝えようとしているのかもしれません。
しんどさに気づけた今、少しずつできることは?
以前の私は、「親だから」「仕方ないから」と自分を納得させ、
心の違和感にフタをして生きてきました。
でも今は、「このやり取り、なんかしんどいな」って思える自分を否定しないようにしています。
しんどさに気づけるって、それだけでひとつ前進なんですよね。
返す頻度を決めて、自分のペースで関わる
LINEが来ても、すぐに返さない。
気が向いたときだけ、無理のない内容で返す。
たったそれだけでも、母とのやり取りに対するハードルが少し下がりました。
「毎回いい子の自分でいよう」としないだけで、息がしやすくなるんです。
「いい子の返信」はもう卒業してもいい
母に気を遣い続ける人生を、私はもう終わりにしたい。
親を否定することは、自分を否定することじゃない。
「疲れる」と感じた自分を責めることも、もうやめようと思います。
LINEだって、返したくないときは返さない。
心が荒れるような言葉には、スタンプだけで返してもいい。
親とのやり取りすら、自分を守るフィルターを通していいんです。
おわりに
親とのLINEがしんどいなんて、他人にはなかなか理解されません。
でも、毒親育ちにとっては、それが現実です。
たった数行のやり取りの裏にある、
「期待に応えなきゃ」「機嫌を損ねたら面倒」といった緊張と刷り込み。
それは、大人になっても消えることのない心の重りです。
でも、気づけたなら少しずつ距離を取っていい。
“親なんだから”ではなく、“私の心が穏やかでいられるか”を基準にしていい。
同じように感じている人がいたら、あなたは一人じゃないよ、と伝えたい。
私たちは、もう「いい子の自分」を卒業していいんです。